私たちは、世の中のあるがままを見ているようで、見たいように見てしまうものです。
世の中には、様々な角度から物事を見る「視点」があります。例えば、机の上に何気なく置かれたコップを見たときに、それはコップ以上の何物でもないが、「視点」を変えれば、そこに動的なダイナミズムを見出すこともできます。
一例をあげるなら、地球がコップを下方向に引っ張る力(重力)と、机がコップを持ち上げようとする力(抗力)が拮抗する様は、動的なダイナミズムと言えるでしょう。静止した様に見えるコップであっても、そこに加わる重力は、100年、あるいは1000年先には、重さで机を破壊し、抗力を失ったそれは、やがて地面に転がり落ちてしまうでしょう。
人間の一生という物差しでこの現象をとらえたとき、机の上のコップは静寂にたたずむ静止したコップですが、より長い時間軸、例えば1万年と言うとてつもない時間の中にあっては、動的な映像として描けるはずです。
机の上のコップを静止画とみるか映像と見るかについては、どちらが正しいということではなく、大概の場合において、私たちは世の中を見たいように見てしまう傾向があるということです。
次に、このコップに加わる重力だけを取り出してみることは出来るでしょうか?
量りに載せたり手に持つことで、重力を数値化したり、重みとして感じることはできるかもしれませんが、重力だけを取り出すことはできません。抗力についても同様です。
重力があるからこそ抗力があるのであって、それらは分かつべくして、離すべからずなのです。
言い換えれば、視点として重力や抗力として分けて見ることは出来るが、その中から一つを離して取り出すことはできないと言うことです。
一枚の紙から表だけを取り出すことが出来ないように。。。
世の中にはこのような事例が沢山あります。
上があるから下があり、右があるから左があります。他にも、遅速、軽重、明暗、内外、寒熱、天地、、、、いずれも一方が存在することでもう一方が存在しうる対の関係です。男女についても同様ですね。
このように、自然界に見られる現象を、互いに対立した性質を持つ一対の要素に分けて見る「視点」を
陰陽(いんよう)と言います。
陰とは一般的に物質的なものをさし、陽とは活動的なものをさします。他にも陰は寒さや静けさ、陽は熱や活動などの性質を含んだ分類が一般的になされています。
実際は、何が陰で何が陽かが大切ではなく、互いが無くして一方では存在しえない、あるいは互いがある事によって、初めて機能を発揮できる対の存在を認識することに意味があります。
陰陽の代表的な性質
- @対立制御
陰陽とは互いに対立した性質をもちます。
一方の勢いだけが強くなり過ぎないように、お互いが制御し合うことで適度なバランスを保とうとします。火と水を陰陽の関係で考えた時に、火の行き過ぎを水が冷ます一方で、水が凍らずしなやかな流体として振る舞うには、火の熱を要します。
暑熱下で水も飲まずに活動を続ける事は、熱中症のリスクを高めると言われています。また、飲水過多でむくみが強くなっている時ほど、運動や入浴で汗をかくことでリフレッシュできたりするものです。陰陽は互いに対立、制御し合う関係がありますが、互いを制御できなくなるほどに偏ると破たんします。
- A互根互用
陰と陽は、対となる相手の存在に依存した関係性の中で機能します。
炎が作り出す熱でロウが溶かされることにより、初めてロウが燃料として機能すると同時に、溶かされたロウの存在なくして炎はその形を維持できません。
ロウと炎の関係は、自らの存在を他に依存している互根互用の関係です。心と体にも、一対の陰陽の関係性が見出せます。気力十分で何かに打ち込んでいる時に、無理がたたって体を壊してしまう事がありますし、体にムチ打って頑張っている時に、心が破たんしてしまう事があります。
心や体は、互いに根は同じであり、互いに作用しあうことで機能しています。言葉の上では分けることが出来ますが、それは言葉の上だけの話です。
心の無い体はただの物であり、体の無い心は、ただの概念になります。いずれも機能する事はありません。
- B消長変化
陰と陽は、連続的に変化しながら役割交替をしています。
陽が強くなれば陰は抑制され、陰が強くなれば陽が抑制されるような、お互いの強さを止まることなく連続的に調整しあう関係性です。
昼夜という陰陽の関係を見ても、夏至を境に夜が少しずつ長くなり、冬至を過ぎるとまた昼が長くなるように、陰陽が絶えず連続的に変化することで、その結果として、季節と言う現象の変化が生じています。
毎日を顧みても、私たちは、活動という陽と、睡眠という陰を連続的に行き来しており、季節や体調などによって、絶妙に陰陽を調節しています。
睡眠を見ても、深い眠りと浅い眠りを規則的に繰り返したり、日中の活動時にも、突然眠気が差す一方で、集中力が高まったりする時間帯があるように、陰の中にも陰陽があり、陽の中にも陰陽があり、それらが互いに消長変化しながらリズムを刻んでいることに気付かされます。
陰陽の概念は、多くの現象事象とその周囲への関連にまで注意を向ける分析的な「視点」です。
東洋医学の根底にも、この様な陰陽の考えが基礎にあり、その本質は、動的な陰陽のバランスを適正な幅を持った中庸に治めるところにあります。
陰陽は、年齢や性別だけでなく、季節や時間、環境や時代など、様々な変数によって掛け合わされる個的な性質のものですから、同じ病気であっても違う治療がされたり、違う病気であっても同じ治療が施されたりします。
人の体は、陰陽のせめぎあいであり、成長期の様な陽の上り坂の局面であっても、陰陽の消長変化を伴いながら登っていくのであり、老衰期と言われる陰の局面でも、陰陽のダイナミックな消長変化は続きます。
このように、陰陽の視点は万物に展開できますが、深海の石ころだとか、冷蔵庫の奥に転がるしなびた野菜に陰陽を見出しても、人生にはさほど有益ではなさそうです。
エベレストの石ころや、畑に植わった新鮮野菜とを対比したときに、陰陽の向こう側に何を見て感じるかが、この「視点」が問い掛ける本題です。いつもと違った景色が広がっているかもしれませんね。